妻のヒモ同然の生活をしながら、
何とかして自分の店を持った20代。
お店が一度は軌道に乗るも、
人を使うことへの未熟さや、
難病にかかったことで苛まれた3年間。
本当に、辛かった。

やがて、一人で出来ることには限界があると悟り、
色々な勉強をした。
東京・長野の両方に拠点を持つことで、
新しい価値観・新しい仲間と協力することを覚えた。
新しいビジネスモデルを確立するため、
仲間と自分の全てを賭けて挑んだ。

─ そして、僕は泣いた。大声で ─

これは、佐藤太一という、
ある夢を叶えた一人の男の物語。
でも、ひょっとしたら、
あなたにとっても
他人事では終わらないかもしれません。
あなたと働くことになったら、
彼は一生涯をかけて、
あなたと付き合ってくれるはずだから。

自分の「カッコいい」をお客様に押し付けていた。

─ 自分のお店を持ちたいと思ったのは、いつのことですか?

佐藤:22〜3歳くらいの頃でしょうか。当時はアパレル企業で働いていて、車1台分の借金がありました。都内で働いていて支出も多かったので、「アパレルを、このまま続けていても経済的に苦しくなって行く一方だな〜......」と痛感したのもこの頃です。でも、自分のお店・ブランドを持つことには可能性を感じていました。それに、アパレルをやると決めた以上は夢でしたから、お店を持つことはどうしてもあきらめきれなかった。

─ 出店にあたり、どのような点で苦労されましたか?

佐藤:やはり当座のお金が問題でした。出店のためには何とかして借金を返さなければならなかったため、借金の倍以上のお金を準備する必要がありました。このままお店で働いていても間違いなく返済は難しいと感じ、1年間派遣会社に登録し、収入全部を借金返済と貯金に振り分けました。幸い、この頃に妻と出会えたため、協力して目標を達成しました。当時の私は間違いなくヒモだったでしょうね(笑)。

─ 奥様も、夢に賛同されていたのですね。

佐藤:妻が僕のビジョンに共感してくれなければ、夢の現実もありませんでした。本当に感謝しています。ただ、僕も「言ったからには絶対やってやる!」と若さを武器に勢いを付けていたので、やるべき事は絶対にやり遂げるという願望は強かったと自覚しています。

─ 融資などは全く受けていなかったのですか?

佐藤:さすがに車1台分貯めたくらいでは、お店を準備するには足りません。国民生活金融公庫に足を運んで、血を吐くような思いでプレゼンして、ようやく出店できるだけの融資を調達しました。せっかく手に入ったお金を無駄に使わないため、店舗内装など自分たちで出来ることは全てやりました。幸い、当時流行っていたインダストリアルな雰囲気に仕上げられ、予算不足はバレませんでしたね(笑)。

自分の「カッコいい」をお客様に押し付けていた。

─ 当初、仕入れなどは苦労されたと思うのですが。

佐藤:お察しの通り、店舗を構えた当初は今に比べて品ぞろえも悪く、先が見えない時期もありました。ただ、腐る必要は全くないと考えていて、当時は種まきの時期だと考えていました。種から芽が出て花が咲くまでには時間がかかりますから、どれだけ丁寧に水やりをできるかが勝負だと思っていて......今考えても冷静な判断だったと思います。

─ どのような点に注力されたのですか?

佐藤:地元密着型ということもあって「一生涯のお付き合い」ができるかどうかが勝負だと思っていました。だから、DMはラブレターのつもりで、一通一通心を込めて書きました。だんだん収益も出始め、品ぞろえも良くなって、メディアから紹介してもらう頃にはたくさんのお客様が足を運んでくれるようになりました。出店してから3年後には、初年度(開店6ケ月時)の50倍にまで売上が伸びました。

─ 50倍!快進撃ですね!

佐藤:そうですね。そこまでは良かった。正直、天狗にもなっていたと思いますし、自分を過信していたのかもしれません。

─ 何か、思わしくない事態が発生したのですか?

佐藤:問題が発生したのは、人を採用してからです。一人でやっているうちは、自分の感覚で経営ができます。しかし、人に何かを教えるとなると、仕組み・マインド・ノウハウ・スキルなど、色々なポイントを押さえておかなければなりません。部下の教育も兼ねて現場を任せたこともありますが、明確な指示は出せていなかったように思います。売り上げも当然落ちました。

自分の「カッコいい」をお客様に押し付けていた。

─ それでは、再度現場の指揮をとられたのですか。

佐藤:いえ......そこからは、正直どうしようもないくらいにどん底でした。「甲状腺機能低下症(橋本病)」という難病指定のある病気にかかり、お店に立てなくなってしまったんです。治療していく過程で「うつ病」を経験し、死がとても身近に迫るようになりました。

─ どのような症状が襲ってきたのですか?

佐藤:顔のむくみ、もの忘れ、身体は動かなくなり、大好きな仕事にも行けず「俺はこの先どうなってしまうのか?」という不安から毎日死にたいという気持ちが頭に浮かんで離れませんでした。

─ どのようなことをきっかけに、快癒へと向かったのですか?

佐藤:1件目の病院では誤診をされてしまったのですが、セカンドオピニオンにかかることで本来の病名が判明したんです。その後、自分に合う薬が見つかってからは、徐々に良くなって行きました。その結果、おかげさまで日常生活は支障のないところまで持っていけました。ただ、気が付いたときには、自分が築き上げたものはリセットされていました。3年間で培ってきたものを、3年間かけて失った、と言えばよいのでしょうか。僕の目から見て、瓦礫の山だけが残っているかのようでした。

─ そのようなどん底の状態から、どうやって這い上がったのですか?

佐藤:確実に分かっていたのは、今と同じことをしていても状況は決して好転しない、ということでした。体調の回復を待ってから、経営者として、一個人として、どのような生き方をすれば人生が豊かになるのかを考え続けました。様々な分野の勉強をして、とにかく自己投資を徹底してきました。勉強を続ける中で、ずっと狙っていた物件が空くことになり、僕はその駅前の一等地にお店を移転増床をすることを決意をしました。家賃は倍以上になりましたが、その建物の2階には妻がお店を持っていたため、その環境も活かせないかと考えていました。

─ 新しい顧客層に訴えたのですね。

佐藤:当時、レディースの展開と、オーダースーツの展開を新たに試みました。うまく妻のお店とジョイントできるかどうかもポイントでした。結果的にチャレンジは成功し、商品のカテゴリも客層も広がりましたし、新しい試みを積極的に行うことで、成功が後から付いてくることを体感しました。

─ この後にオープンする4D studioのビジネスモデルも、そのあたりに理由があるのですか。

佐藤:きっかけは経営者勉強会で、「素晴らしい住宅を作る」大手注文住宅会社の経営者と、「地元長野で都市デザインをしたい」という志のある経営者と意気投合し、私自身が理想の住宅を叶えてくれる方を探していたこともあり、一緒に何かジョイントベンチャーが出来ないか?と始めたのが4D studioなんです。4D studioとはライフスタイルに寄り添う住宅作りと、ライフスタイルに合うアパレル、インテリア、カフェが融合した新しいショップで、そういうものは当時の長野にはありませんでした。それぞれの志を一つの形にジョイントしたのが4D studio業態なんです。

─ 複数のビジネスが組み合わさって、一つのビジネスになる。それが「ジョイントベンチャー」という概念なのですね。

佐藤:忘れてはいけないのは、そこに「人の縁」があることです。ビジネスモデルだけで人は動きませんし、そんな軽い絆はすぐに壊れてしまいます。事業成功まで、僕は時間・労力のほとんど全てを事業に費やし、血のにじむような打ち合わせを続けてきました。時にはひたすら落ち込んだこともありましたし、逆に天にも昇るような一言をいただいたこともあります。ただ、人生で地の底を這った経験は伊達ではなく、あの頃を思い返すだけで、どんな時も生きる希望が湧いてきました。

─ 今、ジョイントベンチャーというビジネスモデルを俯瞰して見て、今後の展開をどのようにお考えでしょうか。

佐藤:そうですね......あえて一言でまとめるなら「感動が展開を作る」と言えるのではないでしょうか。実は、4D studioのオープン初日、僕は大泣きしたんです。本当に大声上げて、おんおんと。感動の源泉には、様々なことが入り混じっていたと思いますが、やっぱり、僕が誰かを信じたこと・誰かに信じられたことが、素直に嬉しかったのだと思います。

─ ジョイントベンチャーを展開するには、素晴らしい人との縁が必要であると。

佐藤:僕は、縁なす人とは「人として一生涯のお付き合いをする」つもりで、ビジネスに取り組んできました。成功体験によって自分の考えが間違っていなかったことを実感し、僕は今後も洋服に限らず新たな展開を考えています。そこに縁があって、自分が役に立てる分野があるなら、何かしらの展開があると思うからです。

─ 良縁に巡り合うには、何が必要だと思いますか?

佐藤:出会いを大切にすること・豊かな生活を送ることです。そのためには、都市に偏ってもいけないし、地方に偏ってもいけない。都市と地方を行き来する「デュアルライフ」によって、自らの本当の可能性が見えてくると思います。仕事のエッセンスは都会で・生活のエッセンスは地方で培うというのが、日本人にとって新しい生き方の方向性になると僕は思っています。

─ 辛い時期・嬉しい時期を経て、心境にどのような変化がありましたか?

佐藤:やはり、自分を磨かなければ人は付いてこないこと・自分を磨くためには志のある人間に会って話を聞かなければならないことを実感しました。例えば、僕はよく経営者の勉強会に足を運ぶのですが、その都度新しい発見があります。人の縁は本当に大切です。

─ 最後に、株式会社バルバコーポレーション代表・佐藤太一のこれからについて教えてください。

佐藤:好きなことを考えるだけでなく、行動して初めてビジネスには結果が付いてくることを、今までの仕事で学べたと思います。今後は、それをより多くの人に仕事で返していきたい。一見仕事とは関係のない社会貢献活動・町おこしからも、積極的に良縁を掘り起こしていきたいと考えています。将来的には、La Barbaや4D studioが新しい文化を生み出せるレベルにまで成長させたいですね。

 

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